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2009年12月27日更新


素晴らしいものがありますので皆様にご紹介したいとおもいます。
授業でもよく参考にさせていただくものでもあります。
作家の大崎善生様の文章です


君のためにできること・・

我が家に天使のような少年が舞い込んできたのは
今年のまだ寒いころのことだった。
舞い込んできたといっても彼と実際に会ったことはない。
私の妻が手紙のやりとりを始めたのだ。
きっかけは、少年の父親が病気に苦しむ我が子の気を
少しでも紛らわせるために、妻のホームページにメールを送ったことだった。
「子供が高橋先生のファンなので、サインをくれないか」というものである。
私の妻は高橋和(やまと)という名で、女流の将棋棋士を職業としている。
少年はどこかで彼女の名前や顔を知り、ファンになったようだった。

 彼女はサインをするのは構わないけれど、父親ではなくて
本人からの手紙が欲しいと返事を出した。
それから間もなくして、少年から我が家に手紙が届いたのだった。
「高橋先生いつもテレビを見ています。
 お父さんのメールにおへんじをくださっておてがみを書けてゆめのようです。」
という書き出しでその手紙は始まった。
 子供の頃からの思い病気を患っていて人退院を繰り返してきたそうだ。
九歳というから小学校四年生。
私の妻が子供達に将棋を教えていることを知り、
僕もいつか教えていただきたい、
先生に習っている子供たちがうらやましいです、
と素直に書かれてあった。
そして
「おとうさんから高橋先生もこどものときに
こうつうじこでたいへんだったとききました。
まだいたいですか、いたくならないようにおいのりしています。」
という言葉で締めくくられていた。
 私の妻は四歳のときに交通事故に遭い、左足を切断する寸前の重傷を負った。
小学生時代は何度も手術を繰り返してきた、
そのことを父親から教えられて、足が痛くならないようにと
病床でお祈りをしてくれているのだ。
 妻がサイン色紙と使い古しの扇子と手紙を出し、
そうして
二十七歳の女流棋士と九歳の少年との文通が始まった。
 少年は自分が大切にしている宝物を次々とプレゼントとして送ってよこした。
いつも病床で少年を見守っていたという白いテディベアのぬいぐるみ、
父親に買ってもらったたまごっちや
大好きなテニス選手の直筆サイン。
身の周りで起こったことを几帳面な字で一生懸命に書き添えて、
そして手紙の最後は必ず
「高橋先生の足がいたくならないようにおいのりしています」
と締めくくられていた。

 その頃に父親から貰った手紙で、どうやら少年の病が
不治かそれに近いものであることを知った。
医者からは覚悟をしておいてくれと言われているとあった。
生まれたときにはすでに何日生きられるかわからないという状況だったらしい。
手紙の中にチラホラと出てくる抗癌剤、副作用という言葉から
少年の抱えている病状の深刻さを類推するほかなかった。
 それでも少年は健気に生き延びた。
十歳になった喜びを伸び伸びと素直に手紙に綴ってくれた。
会いに行こうかとこちらから提案したこともあった。
しかし、あまり興奮させると体調に響くかもしれないという
医者の判断もあって様子を見ていた。
それに少年は髪の毛がないことがとても恥ずかしかったらしく、
何度も約束していた写真が送られてくることもなかった。
病気で弱っている自分の姿を、憧れの人に見せたくないという、
少年の気高さがそうさせたのだとおもう。
 ある日届いた少年からの手紙は、
あきらかにそれまでのものとは違っていた。
一文字一文字が大きく、乱れていて見るからに
やっとのことで書いているという雰囲気なのである。
それからすぐにきた父親からのメールは、
少年がついにもっとも恐れていた状態に入ってしまったことが告げられていた。
癌性悪液質という言葉が、私たちの心を乱した。
「いたいです、くるしいです」と書かれてある言葉に何と答えればいいのだろう。
少年は末期癌の苦しみの中で、必死に手紙をしたたているのである。
「おてがみうれしかったです。いつまでもおともだちでいてください」
とまるで泣き叫ぶような字で書かれてある。
憧れる人に何とか自分の気持ちを伝えたい。
いつまでも、いつまでもおともだちでいてください、
その純粋な気持ちを、そして最後にまた一層大きな字で
「高橋先生のあしがいたくならないように、お祈りしています」
としめくくられてあった。
 妻も私も泣いた。
少年の置かれている苦しい状況に、そしてそんな激しい痛みや苦しみの中でさえ、
自分のことよりも人に足の痛みを思いやれる少年の優しい心に。
何もしてやれない悔しさもあったが、
少年が懸命の思いで与えてくれているものの大きさに、
胸が締め付けられる思いがした。

 最後の手紙を書いた数日後に少年は亡くなった。
危篤に近い状態にあると聞いたときに
妻は自分の好きな曲を集めてCDを作って送ったが、
それが少年に届くことはなかった。
 「あまりにもかわいそうに思った神様が、
息子に最後に恋をさせてやってくれたのだと思います。」
と父親から妻あてに手紙が届いた。
そして「病気の苦しさをどれくらい紛らわしてくれたことか」と
感謝の気持ちが綴られてあった。
少年から初めての手紙をもらってからわずか三か月。
少年は亡くなる前日まで
妻の足が痛くならないように祈っていてくれていたそうである。
 少年がくれた純白のテディベアは、
リビングの出窓に座り、
今も私たちの生活を静かに見守り続けている

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